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2006年11月

2006年11月18日 (土)

誕生日

2006年11月17日はいちのせの43回目の誕生日でした。

夜、実家の母から電話。

うちの親のことだから、いちのせの誕生日なんかとっくに忘れてると思ったんですが、

「何言ってんのよ。お父さんと、今日みたいな天気の日だったねって話してたわよ」なんて言われちゃいました。

いちのせのお産は、実は母にとっては命がけでした。

当時はまだ自宅で産婆さん(今は助産婦さんと言わねばいけないんですが)に取り上げてもらうお産が珍しくなかった時代。

いちのせも自宅分娩でした。

というのも、母が準看護師として勤めていた病院は、当時職員ですら別の病院でお産するほど評判がよくなかったらしいのです。

で、産婆さんと医大の新人女医さんがついててくださったらしいのですが、なんと母は意識を失うほど大出血。

そのときに見えた河の向こうから、もうなくなったおばあさんたちが呼んでいるのがわかったそうです。

が、知らない男の人が『まだそっちに行ってはいけない』と邪魔したんだとか。

それもおばあさんたちの顔はちゃんと見えてるのに、その男の人だけはどうしても顔が見えなかったんだそうです。

で、河を渡ることが出来なくて、そうしているうちに眠くてたまらないのに耳元で大声で呼ばれ続けていて、嫌でも目を覚まさなくちゃならなくなったと。

でも、後で考えたら、あの時眠っていたら、そして河を渡っていたら、あの世に行っていたんだろうな、と。

自宅で大出血したために、医大に搬送することになったらしいんですが、当時はまだ救急車というものがなかったのだそうです。

唯一、市内にある航空自衛隊に救急車が配備されたばかりだったそうで、父は自衛隊に連絡をとり、当直の人が本当は上司の決済をとらねば動かせないところを、緊急だからと自分の判断で動かしてくださったのだそうです。

配備された救急車に乗った第一号はうちの母。

医大は『白い巨塔』の時代。

担当してたお医者さんが教授にかわいがられていた方だったらしく、医大でも教授自らの執刀で手術だったらしいです。当時としては異例のことだったとか。

私の方は仮死状態で、産湯のかわりに水につけて泣き声をあげさせたんだとか、母の救命の方が優先だからと放ってあったとか、言われましたが(^_^;)、おかげで命に関してはしぶとく育ちましたです。

ただ、カンシといって、今は使わないはずですが、子供の頭を掴んで引っ張る器具で引きずり出したために、結構長いこと顔面に軽い麻痺が残っていたようです。

普段はわからないけれど、泣くと顔が引きつってゆがむので、物心がついたら人前で泣くことをしなくなったと言われました。
中身はかなりの泣き虫なんですけどねぇ。

おかげさまで母は回復。

私もまた誕生日を迎えることが出来ました。

本当は5歳のときにも『もしかしたら白血病かもしれない』宣告を受けて、もし本当だったら当時腹の中にいた弟を中絶しようと思っていたと聞かされたこともあります。

その弟も三十路が後わずか。

つくづく、恵まれた環境で生活させていただいてます。

心からの感謝を。

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